紅茶文化、流木、回路詩

 正確にはいつからか、過去の詩を遡って見つめる必要があるのだけれど、今パッと見ただけでも今年に入って書いていない。もしかしたらもっと前からなのかも知れない。極私的な、私だけの、遭難の日々、命からがら捕まった流木のような言葉の存在、詩を。

 私の中で何かが変わっているんだ。

 けれどこれは、貴族の紅茶文化的な詩(競争批判ではない)とも異なる。海で命を救う流木的な詩とも異なる。願っていた回路の詩なのか。まだ馴染みが悪いからか、判断がつき難い。もしかしたら回路詩とも異なるのかも知れない。

 とは言え流木にもまた必ず掴まるだろう。命ある限り人生は常に動く。

 万引き家族わたしは、ダニエル・ブレイク・ジョーカー・パラサイト 半地下の家族。これらが或る共通する視点によって作られた側面が有る作品と仮説するとき、詩にもそれに近い視点が用いられるならば便宜上の名前が欲しいと思う。便宜上の名前は他者の為ではなく、私が私の為に必要なものだ。

 貴族の紅茶文化的な詩、遭難時の流木的な詩、今のところ、自作の分類先がこれで正しいのかがわからない。とりあえずは分断の時代の回路的な詩、回路詩と便宜上名付けておきたい。このことはまた考えていきたい。

詩:指

今まさに、リリースされる

指先が叫んでいる

もう指をやめたいと

その叫びは、笑い声と熱狂の渦に容易く掻き消される

apoptosis

この5本の為に生まれ死んだの

その指は、生まれ死んだ細胞の分を引き継いだ

引き継いだ命、無抵抗を、殺めて


今まさに、リリースされる

叫んでいる

もうやめたいと

リリースされた凶器で殺めたようで

その実わたしがわたしをも殺して

もうかえらない命の

もうかえらない命なの!

流れる血は止まっても

止まない雨と吹き曝しの家屋は示し続ける不在を


指先が叫んでいる

もう指をやめたいと

笑い声と熱狂の渦に容易く掻き消されても

暗い夜に蝕み続ける真実が一つ


apoptosis

今のあなたにたどり着く為

身を引いた幾つもの細胞があったの

願わくば、その手で誰かを救って欲しかった

願わくば、その指で誰かと触れ合って欲しかった

その指で、猫と彼の記念写真を撮ってあげることだって出来たのに


もうかえらない、命なの

ゆるしゆるされること

 現代には福祉と「福祉的なもの(福祉っぽいもの)」が見分け辛く並んでいる。後者では全てがそうであるとは言い切りたくないけれど、福祉には「人を見限らない」、「ゆるす」という力があると信じている。

 立場が変わった時、私もどこまでもゆるされたい。だからゆるす福祉が好きだと思う。

 私は人にとっての表現の存在が(詩も)、福祉的側面と無関係とは思えない。だからこそ表現に関することにも、「ゆるしゆるされること」が在って欲しいとどうしても願ってしまう。

 福祉を構成するものの一つに、徹底した対話やそこに向かう誠実な姿勢があると考えている。表現に福祉的側面があるとすれば、果たして対話はそこにどれほどあるだろうか。

 名前だけがあり、名前の定義も理解し合わぬ内から、どうして他者を咎め否定する必要があるというのか。資本主義社会で流れる時の流れとは完全に一致しない、福祉と表現でありながら。

競争

 詩における競争の理由は、技術等の向上と、その物自体を存続させる為にあると仮説する。

 人間の競争は、種の進化と存続にあると仮説する。

 芸術向上の為の競争。その結果たとえ明暗がはっきりとしていたとしても、そこに「誰一人居なくても良い人間など居なかった」という話を聞くことがある。

 では、人間の競争においてはどうか。


 大前提として私は、「居なくても良い人間など一人も居ないという考え方を持っている」ということを強調して記述しておきたい。その上で理想や願いとは全く別の所で、現状を、現実世界をどう考えるかと問いたく本稿を記した。

 前者に在る、ともすれば一種の爽快さのようなものが何故後者には感じられないのか。それは私だけが感じていることなのか。やはり死人が出ることにあるのか。

是ポエトリー・リーディング

ゆるされた私がゆるす

 自己肯定感が高かろうと低かろうと、今さら何かと何かの間にわざわざ分断線を引いて、自分を保とうとはしたくない。そういう未熟さ由来の寄り掛かり、ともすれば未だ抱える弱さで、他者を不幸にしても許される立場ではもうないと考える。自信があるならそれを良い方へ使い、自信がないのであれば潔く敗れたい。

 そして敗れた痛みにきちんと向き合い、その後には何度でも立ち上がり自己の人間性を高めていきたい。そして若者の弱さとそれに伴いめぐって来た不幸については、今度は自分の番とゆるしたい。

詩:今日も私たちは目に見えないものを運んでいる(朗読動画リンク有り)

目に見えないものを運んでいる

「若者ほど元気に」と言われるのはウイルスのことか

生まれ一息継いだ瞬間から既に私たちは年長者となる


目に見えないものを運んでいる

「年寄りほど無痛覚、もしくはそのフリで」と言われるのは悪意のことか

生まれ一息継いだ瞬間から既に私たちは年長者となる


種の歴史からいえば若者と年寄りの違いなど案外曖昧なものかも知れず

だとすれば今日私たちは、それぞれ何を運んだのだろうか

そして何を運べたのだろうか


誰かが吐き出したウイルスを

顔の見えぬ人たちが殺菌している

誰かが吐き出した悪意に

顔の見えぬ人たちが抗っている

復讐は選ばずじっと、堪えて


徹底的に除菌に取り組んだら、すぐに肌を赤くする私たちが生まれた

徹底的に善意を追いかけたのに、結局顔を赤くする私たちに辿り着いてしまった

それでも言葉に見出された私たちだから

それでもまだ扱う側で居られるよう

今度は怒号の大筒より、何度でも間違いを認められる恥の赤を、耳の赤を

信頼と呼びたい願いを


今日も私たちは目に見えないものを運んでいる

今、私たちに何が運べるだろうか