日記:タイトル書けるんだから大丈夫なんだろ

人が居る世界で生きるのは疲れる。そういう自分も人間だから、きっと、誰か一人のことは必ず疲れさせていると思う。

基本的に鏡を使わなければ自分の顔は自分で見れないから、僕が見るのは人の顔である。人の顔は鏡だなと思う。一億枚以上の鏡。

気がついた初めは、片方の暴力や怖さに怒りを抱いていた。最近は違って、もう片方の精神汚染攻撃を想っては怒りを抱いている。

しんど過ぎて上手く書けない。途中でやめたくなる。ここに来るまでにも逡巡があった。


Aにより不幸にされているBがAの悪口を言う。人格否定をする。Cはカウンセラーになる。

中学1〜2年時、携帯電話も持っていなかった頃から、自宅の電話で複数人の同級生の悩み相談を聞いていた。ほぼ毎晩多ければ日に三人。一人平均30分から1時間。1時間を超え2時間に及ぶこともあった。

高校生の頃には翌日朝練があるのにも関わらず、終わることのない人格否定を深夜まで聞き続けた。幸か不幸か傾聴の仕方はその時に学んだ。初めはあれこれ違った角度から質問を入れたり、認知の歪みを正そうとやんわり気づかせる為の意見を伝えたりしていた。それも無意味だと知ってからは、もうただの頷きマシーンと化した。あの時何かがしんだ。


もう仕事だ。ようやく少し書き始められた頃にはもう時間切れだから行かないとな。

昨夜はこういった苦しみからあまり眠れなかった。眠れてもこころが休まらない。眠れただけいいじゃないかと誰かに怒られることを考える。その通りだと思う。全く眠れない方の苦しみをわからないのだから。


乱暴な書き方をすれば、だいたいの人間の、して欲しいこと、言って欲しい言葉がわかる。だから、冷めている。

こうしたらこうなるってことがわかる。人間は思惑の生き物という側面は色濃い。

俺の人生は、俺の為のものなのかがわからない。誰かの為にすり減って、世界を少しでも悪くしないで、いつの間に消えていたい。消えたという事実で誰一人傷つけず迷惑をかけずに。


わかっている。認知の歪みだろう。精神的視野狭窄だろう。わかっている。

でも、どこにもゆけないじゃないか。