破裂したい詩に詩に詩に

ツイッターに「詩が破裂しそう」と書いた。嘘。投稿する前に思った。(破裂しそうならそれはもう破裂してんだろうが。ならそれを詩にしろよ!)と思われて立ち止まった。そしてこの詩だ。この詩はどこへゆくのか。何になるのか。これが詩ではないと言う人がいたら僕にとってプラスだ。ありがとう。ありがたい。僕は冷静な頭でそう書きながら、実際に言われて悔しがるのだ。

その人がどう育ったのかなんて知らない。知らなくてもなぜか無条件にからだの一番弱いところを差し出せてしまえるような、そんな風に思わせてくれる人というのがいる。この世界にはいる。自分はどうか。

僕は、そんな人たちに出会えて幸せだった。そんな人たちにならいつ刺されてもいいと、それは殺されるとかではなく、何というかその人の心で撃ち抜かれても清々しいというような心持ちがしていた。実はこの過程で「心持ち」という言葉の意味を辞書で引いた。僕は臆病な人間だ。間違うことを恐れる。伝わらないことを恐れる。誤解されることを恐れる。こんなことを全てステージにぶちまけて、全員が呆れても唖然としても無関心でも、僕は僕のためによく生きたと喝采したい。今日はよく生きられただろうか。

罪のない人間にはなれない。この先も過去も。がむしゃらに働いても給料は上がらない。がむしゃらに働かれても資本主義は迷惑するだろう。それでもがむしゃらにするしかない時間があり、僕はそんな時間を重ねるしかなかった人とお酒が飲みたい。嘘。お酒が飲めないから、お酒の飲めるラッパーやバンドマン、詩人に憧れる。僕はあまりに普通だ。そんな普通のやつがまだ詩を書いている。この詩はどこへゆくのか。何になるのか。

詩は僕を必要としないのかも知れない。もしそれが真実ならとても悲しい。でも、どうしても、僕には詩が必要だった。必要だ。

高級なホテルのロビーを出た。僕にこの空調は勿体ない。外の生ぬるいイライラさえさせるこの暑さに身を晒して、この続きを書いている。

こんな詩は誰にも必要のないものかも知れない。かも知れないと書くのも傲慢なような、詩だ。でももし書くしかないのなら、なかったのなら、引き続き止むに止まれず生まれる詩よ続いてくれ。

こんな詩が何になるのか。どこへゆけるのか。わからない。わからないが目の前に立つ美しい人の鞄にAgainとあり、そう受け取ったのならそういうことだ。

でっかいステージで、極私的な、誰も興味のない言葉を、魂を破裂させたい。そこでもう死んでもいいな。

詩を破裂させるために、まだまだ書くしかないことだけが明らかで、俺はいつ終わるかもわからないけれど書いて生きたい。

去年の暑い時にストリートライブをしたな。遠くで見ている少年と目が合って、ゲラゲラと馬鹿話をして笑っていたその目が真剣になるのを見た

この解釈を勘違いと笑うのは容易い

悪いな

解釈はこっちで決める

それが人生だろう