まだ生きる。もう生きる。生きる生きる。生きる生きる生きる生きる生きる生きる生きる生きる生きる生きる生きる生きる生きる生きる生きる生きる生きる。

生きるのが苦しい
生きるのが苦しいのは、より良く生きようと思うからだ 手放したくないと思うからだ

晴れの日、屋上
遮蔽物も何も無い空の近く
乾いてからそのあと何年間も、ただ延々と風に吹かれたままの色褪せたシャツのように
時の流れに心身をただ捧げられたら
こんなにも苦しくないのだろう

 

少し前に、こんなことを考えていた。
何で自分は、あんなにもあんなにも苦しくて仕方のない混沌とした気持ちを前述のような文章にまとめてしまうのだろう思う。
生きるのが苦しい。ほんとうに苦しい。どこかで認め切れていなかったのかも知れない。認めることが怖かったのだろうか。わからない。そうだったのかも知れない。勇気があるとは言わない。臆病さを認めたい。
俺は弱い。
生きるための理由と、生きることをやめるための理由が存在している。いつも。生きる為の理由を増やさなきゃ、約束をもうけなければ、楽しいと感じられることを増やさなければ。とにかく、なんとか、しなければ。
そういつも考えている。意識して考えられているのかどうかもあやしい。もはや頭が正常に働いているのかもわからない。
生きるための理由を持たなければ。やめてしまう理由よりも多く、持たなければ。
「人のために生きることをやめない」という生きるための理由は、強度が高いようで、いよいよの時には実に脆いような気がする。自分が欲しい物、自分がなりたいもの。約束。喜び。

 

生きるのが苦しい
生きるのが苦しいのは、より良く生きようと思うからだ 手放したくないと思うからだ

晴れの日、屋上
遮蔽物も何も無い空の近く
乾いてからそのあと何年間も、ただ延々と風に吹かれたままの色褪せたシャツのように
時の流れに心身をただ捧げられたら
こんなにも苦しくないのだろう