メモ、詩の道は明らかだ

僕が誤っていた事。求道と、有名になったり売れたりする事は違うという、そんな明らかな違いを一緒にとらえていた事だ。 少しでも良い人間になりたい、よりよく生きたい。そんな想いは超エゴで、他人には知ったことではないのだ。そこに人様を巻き込みたいなんて想いは誤りだ。 もう詩の道は明らかだ。

どうしようもなさ

どうしようもなく溢れ出て来るもの、逆に言えば、何故か出て来ない時だってあるもの。そういうものが私の詩だから、どうしようもなく出て来た時には、それをそのまま混じり気なしで放ちたい。きっとそんなものが有名になったり、それによりお金持ちになるということはないだろう。

でもそれが続けられたら、死ぬ時によく生きたなと思えそうだな。それでいい。それがいい。

売れる人は、食っていく人は、受賞する人は、そのための努力をしている。限りある時間いのち、俺が日々打ち込みたいものはそちらではないようだ。それはどっちがいい悪いではなく、きっといつからか、何故か自分はこっちと決まっているものだろう。どっちの人にも闘いがある。それぞれの闘いだ。

だから俺は、どうしようもなく溢れ出るものをちゃんと形にして放っていきたい。その暮らしを更新していきたい。その結果漏れなくいつか死にたい。その時まで、どうしようもなさから逃げずに向き合っていきたい。生きていきます。

ことばは

電車を乗り過ごしてご飯を食べ損なうとか、ファンデーションを落として割ってしまうとか、そういう誰にも何にも言えない、どこへもゆけない悲しみと一緒に居るときがある。そんな悲しみ、どこにでもあって誰だって感じたことがあるんなら、俺たちはもっと本当は分かり合えるはずなのにって思った。

でも、生きている上での罪はあまりに重く、深夜の月に向かって泣くこと、唯一それくらいしか許されないようなどうしようもなさを抱えた私たちは、行くところなんかなくて、弱いのに、強さを追いかけて追いかけた。

罪を洗う場所なんてないのに、そういうことなら月でだろうという詩を書いたあの心。今はそれさえも都合が良すぎることと思われて、詩人は聖人でなくても良いかも知れないが、俺は俺の言葉を信じられるだけの命を生きていないことだけは確かだ。そうではないか。どうなんだよ。


表面で人を想い、裏面で人を切り裂く

立派なことを言っていても書いていても、結局私生活では人を傷つけているのだから、それらは価値のないものではないのか。そう問われた時に答えられるものがない。その通りなのかも知れない。

詩は、詩を書くという行為は、詩人は、聖人であるべきか。それでいて初めて、言葉に力が宿るのか。

そうであれば言葉を発信する立場にはいないのかも知れない。

もはや、自らの延命の為だけの言葉であるのであれば、表面的に人様を想っているような言葉からは離れ、より自愛に特化した言葉に走るべきなのだろうか。


し、せかい、し

世界が明るくなって来た

ほんとうに、世界が明るくなって来た

暗いから少し明るいところに逃げて来たのに

ここも明るくなって来たから何だかムズムズとして

言葉に出来ず

それでも、何となくもう居る場所ではないのかなと思わされた

でも、ここを出て行くとこあるの?

無言

でも、ここではないなと思われたから身支度を整える

必要最大限の物を詰め込みたい想いをグッとこらえて、最低限の物を詰め込んでいる

本当はもう10分前には整ったんだ

その後の10分は僕のこの震えが生み出したものだ

こんな場所でもすっかり居着いちゃったから愛おしくて怖くなった、新しいところへ向かうこと

地面に染み付いた明滅跡

動物の骨、野菜の切れ端なんかが両端の壁の近くに転がっている

もっと掃除したらよかったな、そういうトイレ

右手中指の火傷痕

入口付近で飛べなくなっていた小鳥を見つけた、そのお墓

みんな、僕はもう行かなきゃならないんだよ

僕はもう、行かなきゃならないはずなんだ

愛おしいこの場所に最期の挨拶をして


火をつけた


自らに振り返らないことを約束して走った

いつもいつも振り返る人生だった

あの子との別れのときも

振り返りいつまでも見送ってしまう僕は、弱い人間だと思っていた

それを恥じた

恥じた後、僅か数秒でも長く見つめていたいこの気持ちに感謝した

いつも振り返らなかったあの子の弱さと気丈であろうとしたその強さを想いながら、心の中であの場所が燃え尽きていくのを浮かべていた

次はどこへゆこうか

次はどこへゆこうか

とにかく雨宿りの場所から探そうか


おかしいな、暗いから少し明るいあの場所に逃げ込んだのに

もっと明るくなったら今度はまた旅立つなんて、想像もしなかった

想像もしなかった

仕事と詩

制度の狭間。

例えば、エアコンのフィルターは誰にも洗えないし、不要物であふれた家の中は誰も掃除することが出来ません。

法律や契約に則って動く立場の方々では出来ないという意味です。

他に考えることは、言葉の表面性の行き来だけで誤解が生まれる世界だなということです。そこで諦めたり、諦められてしまう人たちが大勢います。僕たちが日ごろ行うコミュニケーションとは、いかに高度なやりとりか。それを知らされます。

そしてこれを書く僕も、ある時にはそのうちの一人だと思います。コミュニケーションを諦める人、その一人。

詩を読むことと、他者と話すことには似ているところがあります。

僕は詩の向こう側に、どうしても思想を見てしまいます。馳せてしまいます。

人と話す時にも、文脈があり背景があるということを考えさせられます。

この人は何故こんな表情なのだろう。何故怒っているのだろう。悲しいのだろう。何を伝えたいのだろう。

詩を読み解くように丁寧に、他者の言いたいことや感じていることに心を向けていきたいです。

春にも夏にもどの季節にも、朝にも夜にも死ぬ生き物。それでも、どうしようもなく生きる為の生き物。

すべて捨てて、すべて止めて、もう消えてしまおうという思考にとりつかれて、そのまま真冬に濡れ手かざすような気持ちで居たくなる時がある。私はそれを「小さな自殺」と呼んでいる。

自殺と聞くとダメなことと反射的に声が出そうだ。それでも現実には、これまでそういった小さな死を重ねることでしか生きて来られなかった時間があったのだ。

繰り返すうち、やがて「なぜ?」という声が浮上してくる現象に私は何度も出会って来た。それは悲しみで怒りだった。

「なぜ自分が、消えてしまわなければならないのか。」

そういう問いだった。

そこから「このまま消えてたまるか。おかしいのは世界だろう。」という想いにリレーされていく。

世界が多数派である場合、私は何度も何度も消え入りそうになった。仮想敵を作ることは悲しいことかも知れない。それでもすがりたいこの生とは、命とはどういうものか。死ぬわけにはいかない。

約束でも責任でも義務でも、怒りでも悲しみでも、何でもいい。とにかく、死ぬわけにはいかないと、そういう気持ちにたどり着きたい。

願わくば、その想いは、「やりたいこと」にまで届きたい。


今の私が幸運にもたどり着けたこと、やりたいこと。

好きな音楽と詩を再度重ねて、遠くへゆきたい。音楽の力を借りて、詩で届きたい。知らないあなた、知っているあなた。知らない私、知っている私に届きたい。



私の詩を、


世界住人は、


一体、


どう受け取ったらいいのですか?



答えられなかった問いに対して、「これから答えを見つけます」と返すことでは足りない気がする。

今は、今思うことは、同情目当てでも何でもなく、「それでも、生きている」ということを伝えたい。そう考える。