詩:煤ロンド

文字数の多い月曜日

原稿用紙いっぱいに敷き詰められた収まり切らない人間が、すし詰めの車両に等しく酸素を薄くする

書き切れない感情が最後のマス目を超過する

はみ出し者の言葉が私を私たらしめるから、私たちはもっと饒舌になったって良かった

改行も段落も鉤括弧も句読点も、あなたを縮めるだけならもう何一ついらない

このマス目を一つ一つ塗り潰して、一枚の真っ黒いペーパーが仕上がる

例え真っ白で居られなくても、その境界も枠線も全て取り払う必要があった

その舞台にこそ際立つ白で言葉を紡げるのはあなただけ


誰にも価値をつけられるな

誰にも価値をつけられるな

誰にも価値をつけられるな

その頼りなさを

その弱さを

あなただけの闘いを



戦火跡、静かに咲くその一輪のように、揺れている優しさがそこにはあるだけ

いつまでも揺れていられる優しさを手にした者たちが、ススをつけたままの顔でそっと微笑んでいるだけ

顔を上げたら手の甲で拭う時間が、何度でも何度でも何度でも続くだけ

何度でも何度でも、続いていくだけ




タイトル命名:武田地球

いつかの『あのころにもどりそうになる』になる、その夕べ

昨夜は人生で初めての体験をした。30代を超えてふと振り返る。最近何か新しい体験をしただろうか。

そんな中、今回は非常に貴重な機会をいただいた。


4月24日火曜日の朝8時、遠足へ向かう小学生の集団に揉みくちゃにされながらこれを書いている。子どもたちは先生の目を盗んでは密かに押し合い遊んでいる。もっと遊べ。もっと悪いことをしたっていい。陰湿なことはするなよ。誰かが泣く遊びはやめとけ。大人は困らせたっていい。どうかもっと遊んでくれ。遊んでくれ。


4月23日月曜日の夕方、京都某所。この街は学生時代が追憶される。当時は川辺に座るカップルが等間隔に配置されていることになど気がつけなかった。俯瞰より客観より主観で彼女が欲しかった。


今朝のなんでもない初夏の陽の光にでさえ、いつかの道のりを思い出す。友人Aがもう死んで居ないことに出逢い直す。


寄り道に次ぐ寄り道から時間は戻って昨夕からの話。とは言えそこまでの道のりの話となる。

実は、ソキュウという演劇公演をされている団体の稽古場にお邪魔した。

主宰の美女丸さんにご紹介いただき実現した時間だった。

昨年11月、美女丸さんとも関わりのある私の芸術仲間の方からご連絡をいただき、この度の美女丸さんとのご縁に繋がるきっかけをいただくことが出来た。もっと言えば、それよりさらに前にこの芸術仲間の方のお陰でご縁をいただけたのだが、ここでは割愛しまた次の機会としたい。(Sちゃんありがとう。)


その後は私が武田地球さんと共同運営している詩人Zというアカウントの企画(日本詩人物語という動画による芸術家の紹介企画)内で美女丸さんを紹介させていただいた。これまたご縁で、次回公演の脚本の中には労働や詩というテーマ、キーワードが入れ込まれており、更に出逢いの尊さを感じた。

無事に日本詩人物語の動画が発信できた後、少しして美女丸さんからお話をいただいた。

次回公演『あのころにもどりそうになる』内のパフォーマンス場面で使うポエトリー・リーディング用の詩を書いてもらえないかというものだった。

嬉しかった!燃えた!命を懸けて書こうと思った。

何とか期限内に仕上がり提出させていただいた際にまた一つありがたいお話をいただいたのだが、これもまた次の機会にどこかでお伝えしたい。


やっとやっとの昨夕。

初めましての挨拶を済ませて稽古を見学させていただく。3時間ぶっ通し休みなし。長時間であることも感じないほどの超超超がつく刺激的な時間となった。聞くと多くの皆さんは13時からこの場所に居るという。目眩がした。演劇ってすげぇコストかかるのね。すんげぇコストかけてすんげぇ良いものやってるんだから、何かしら報われてほしいなと思った。報われるって何だろうかと同時に思いながら。


役者の方々の身のこなしは実にしなやかで、しかしながら外見の美しさや味はむしろ何番目かの武器のように感じられた。それはつまり内側だった。内側から溢れる不可視の何かが私に幾度となく突き刺さってくるのを感じた。

稽古場は刺激が多すぎて、私は開始数分でクラクラした。身体中のアンテナに休みなく何度も何度も突き刺さって来るのを感じた。演技はもちろん、ただの雑談風景が、身体がそこに在るということが、一つの所作が強烈な刺激だった。

裏方とされる方々の眼の良さにも驚かされた。リアルタイムで起こっていることに対してほぼ反射的に言葉を返していく。演出法について、見え方について。特に驚かされたのは、目の前で展開される演劇表現を確かに受け止めながらも、客観視、一般的な感覚を同時に照らし合わせるように見る力だった。すごかった〜。ほんとにすごかった〜。


昨日のことをこうして思い出して書くだけで、刺激の追走体験となりいい意味で爆死しそうなのでもうこの辺にしとこうと思う。笑

ここまでご覧いただいた方、ありがとうございます!


最後にはやはり宣伝を!!


ソキュウ第3回公演『あのころにもどりそうになる』は、京都人間座スタジオにて4/26(金)〜4/28(日)の全4回公演!ぜひぜひご覧くださいませ!

本番では私の詩、「追憶よりも速く」がポエトリー・リーディングされるので是非ご覧いただきたいです!


お楽しみに!!



クヮン・アイ・ユウ



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詩:なないろ

不法投棄は世界の一番暗いところで行われる

一番優しい人はいつもボロボロで、その山の陰で今日も困ったように笑っている

また誰かが棄てに来た

作業中指を切った人に手当を申し出たら爪先で蹴飛ばされた

ぶつかったせいで幾つかの瓦礫がゴロゴロと転がり落ちる時にかすめて、頬を切った

止まらない赤い水をじっと見つめて、それでも明日はもっと世界が優しくなるようにと祈りながら眠りについた

翌朝目を覚ますといつの間に降ったのか、水滴に濡れる一帯がきらきらと光っていた

その一粒一粒を丁寧に摘んで食べた

一つ食べるごとに優しくなれる気がした

一つ食べるごとにもう居ない人たちの笑顔が浮かんだ

赤い水たまりに虹がうつっていて、それでもきちんと七色をしていたから、また期待することに決めた

詩:困窮は鳴かない

困窮は鳴かない

都会の路地裏、暖をとりたくて、自動販売機と壁の隙間で静かに息絶える


困窮は鳴かない

階段の踊り場、不自然に立っている人に尋ねると、昼食抜きを誤魔化す為に踊っていると言った

「そうか、踊り場だもんね。」と辛うじて笑い合って、何かを一緒に守った

自らの食べられない苦しみより、それを悟る誰かの痛みを気にする優しい人が踊っていた


困窮は鳴かない

水を買うのも躊躇われるのにお茶やコーヒーを買った

何かを守りたかった


困窮は鳴かない

「健康の為に歩いてるんです!」

交通費がないから歩いて帰った

冬の陸橋は冷たくて、頬が赤く千切れそうだった

欄干に手向けられた花も震えているようだった


困窮は鳴かない

困窮は鳴けずに、背中が泣いていた

もしもほとんど手を振らずに歩いている人が居たら私だ

もしもついには吹き出してしまう人が居たら私だ

私は、あなただ


年老いてゆく父と母にざまあみろと唾を吐けたらどんなに良かったか

ふと目をやると、高架下を老夫婦が歩いている

互いの足腰の弱さを、不安定さを、間で転がす自転車にもたれ合うようにして歩を進めていた

私はいつか歳を取る

どこにでもゆける身体というのは、いつでも終えられるということである

どこにもゆけない身体というのは、いつでも終えられないことでもある

私はそのことが怖くて仕方がない

縋りつく生に、生かされる生に、恐怖を抱かざるを得ない

酒臭い息でチャリンコを転がす親父の隣を、パトロール中の警察官がすれ違う

一瞬怪訝そうな顔は、風景に流れてゆく

私も、誰も彼も流れ流れて

時間も風景も機会も人も流れ流れて

取り返しのつかぬ

取り返しのつかぬ

取り返しのつかぬこの街で、暖をとろうと必死だった

自販機の後ろに何か優しいものは落ちていなかったんだろうか

何も、優しいものは落ちていなかったんだろうか

その時に私は何をして過ごしていたんだろうか


派手に殴られたことはなかった

でも、今まさに階段から突き落とされていく女の軽さなら見ていた

紅潮する怒りが誰も彼も喰い殺すから、この世界の子どもたちはどこもかしこも怯えていた

真っ赤が真っ赤を生み出すから、世界はもう真っ赤っかだ

真っ赤っかだ

いつかの茜色、誓いも反省も忘れて、今目の前の君を殴り続けることに夢中だ

イマメノマエノ、キミヲナグリツヅケルコトニムチュウダ


鈍色の景色、重い身体、枕に預けた顔の痛み

どうにかなりそうだ

景色を変えなきゃ

景色を変えなきゃ

さもなくば私はここでずっと重く沈んでいるだけだ


鈍色の景色、重い身体、枕に預けた顔の痛み

どうにかなりそうだ

景色を変えなきゃ

景色を変えなきゃ


景色を変えなきゃ

景色を変えなきゃ


景色を変えなきゃ

景色を変えなきゃ

さもなくば私はあそこへずっと重く沈んでいくだけだ

日記:君はどうしてやめないのか / クヮン・アイ・ユウ

 今夜は珍しくパソコンで文章を書いています。いつもスマホだから。

 皆様こんばんは。クヮン・アイ・ユウです。僕は15歳から詩を書いている者です。

 どうして改めてこんなことを書くのか。それは、出来るだけこの文章が遠くに飛んで行った時のことを考えて書く必要があると考えたからです。僕のことを知っている方に向けてだけではなく、初めてここ(ネット上)でお会いする方に向けても書きたいと思ったからです。

 んー少し硬いかな。言葉って難しい。前置きが長くなりました。結局きれいごとを書いたけれど俺は前述したみたいには書けないと思う。ごめんなさい。

 

 ツイッターを利用する上で決めていることがあります。違うな。そうせざるを得なくなっていることがあります。そう書いた方が近いかな。

 何かと言うと、「(あまりOrほとんど)人と話さない」ということです。リプライ(他者から自分へのコメントのようなもの)にお返事することが怖いです。なぜ怖いかと言うと、、(上手く言えるかな。怖いな。上手く言わなくてもいいか。別に。)、、俺は「どうせ伝わらない」と思っているんです。そう思ってしまっているんです。人と人は言葉を尽くしても分かり合えないと。言葉を尽くす為の時間を両者間で持ち続けることが難しいんだからと。その後のことは知っています。誤解・罵り合い・別れ・断絶・絶望・無気力・・・。「冬が春になるように、人とのそれらも四季が巡るようにまた何度でも人間は期待していく」とどこかでは発信しながら、心の奥はもっとずっと冷えています。

 人との不通を知ったのはいつだろう。その初めがいつか、その正確性は今あまり重要ではない。どの体験が印象深いかの方が重要だ。

 中学生くらいの時、当時の俺は人に優しくしたいと心から願っていた。優しくすると世界が優しくなると思っていた。みんなの誕生日をメモして祝った。俺の誕生日は・・・。そんな風な考え方が良くなかったのかな。当時も相当内省したよ。自らの言動のどこかにいやらしさはなかったかと。主観だわな。主観を何度も何度も振り返った。でも結局わからなかった。

 両親は毎日喧嘩していたし不通を学んだな。でも別にそのせいにしたくもない。ただ、人間なんて空しいなと思った。空しいよ、ほんとうに。

  筆が進まなくなって来た。たぶん恐怖だ。怖い領域に進行しているからだ。そう感じる。言語化がトラウマと向き合わせているんだ。こんな訳のわからない文章に巻き込んでごめんなさい。

 Aと言葉をかけられても、うまく返せる気がしない。先で待っている空しさか消化不良が見えているから諦めてしまう。「うまく返す」ってなんだろうね。

 1.相手が気分よく居られるように返す。

 2.こちらが言いたいことを伝える。

 3.相手も自分も我慢なく、楽しく居られるように返す。

 4.その他

 2、3は難しい。1は出来る。出来ていたから友達が多かった。ここで言う友達とは、両思いのものではないよ。相手が友達と思ってくれていても、俺はそう思っていないケースだ。何でそう思わないかって?例えば昔の例で言えば、相手は俺の誕生日なんて知らないし、今で言えば俺の現状なんて知ったことじゃない。俺が相手にしてやっていることは、相手がして欲しいことで、俺がしたいことじゃない。人間は我欲が強いから、自分が気持ちよく居たいもんじゃないのかな。俺はそれがわかるから、やつらがそれを味わえるようにいつも提供して来たよ。後に残るものなんか何もない。友達なんかじゃない。

 だから、そういうのに辟易として1もやめた。4で何かないかと考えたけどないんだよね。だからやめた。人とわかりあうことを目指すことも、人と話すことも。空しいだけだし、相手のために相手が気持ちいいことを提供する人生とも決別したかったから。それに気づいてからは、徐々に人に対して提供するのを減らしていった。2もやめて、3も期待できなくて行き場もなくなった。苦しいな。

 こんな人間が詩を書いている。詩の中だけでは、苦しみだけじゃなく、時々僅かに希望したり、前向きな言葉も言えたりする。何かになるのかな。みんなどうしてんのかな。

終着点はないよ。ごめんなさい。ここまで付き合わせたのに。

生きるのが苦しいときは、生きるか死ぬかを考える。でも、その前に何とか生きていたいから、自らに対してどうなら(どの程度なら・どんな方法なら)生きられるのかを聞く。何もしたくなし出来ない。それでもいいならまだ何とか。そんな心の声が聴こえる。いいよそれでもと返してやる。

 もっとひどい時はそんな自己対話も出来ない。真冬に濡れ手をさらして、怪しく光るナイフの先を見てニタリ笑うように、そんな小さな自殺をはかることで繋いで来た命があった。そしてそのことにどんな意味があったのか。生き残って来たことに、これからも生きていくことにどんな意味があるのだろう。わからない。どうして俺は、これほど苦しむのか。それだけまだ期待して止まないのか。

誰か教えて欲しい。そう言いながら、まだ探したいのかな。わからない。ここまで書いたけれど、自分の心を一体どれだけ正しく書けたのかわからない。どれだけ伝わるのかもわからない。誤解が怖い。誤解が怖い。誤解が怖い。みんなはどうしているのか。どうしているんだろう。

 

クヮン・アイ・ユウ

遺書には詩を

俺は馬鹿だった

俺がこの社会に嫌気が差して、ぶつける先のない感情に苦しんであれこれ過食するなら、詩を書けば良かった   詩を書けば良かった

俺が自ら命を縮めるくらいなら、詩を書けば良かった

命を縮める行為は誰にも見えないから、これで死んだら無駄死にじゃないか

だから俺は書くことにした

詩を書くことにした

詩を書くことにした

詩を書くことにした

この痛切さを書かずに、私が私を殺すのは無駄死にだ

結果的に死ぬだけならまだしも、自ら殺してなるものかと奮起して書けばいい

怒りでも悲しみでも何でもいい

この際人の話は聞かない


止むに止まれず走り出した

切実さを抱えた夜の終わりと、涙の乾き切る前の必然に君が

止むに止まれず走り出した


こうなったらもう、どうしてもどうしても詩を書けば良いのだから

どうしてもどうしても、詩を書けば良いのだから

ヒーロー

許しても許しても際限ない

許される時は一瞬で、そしていとも容易く、また、忘れて、しまって

わたしを許すことはこれ程


許しても許しても

許しても許しても

許しても許しても許せないわたしを、次から次にわたしたちは見つけて

人に許されて

人を許して

許されて許すのにどうしても

わたしがわたしのことを許すことは許せない

いつまでもわたしはわたしに許されない


出来たことを当たり前にして

出来た尊さを忘れて

出来ないことを許せないことにして

今朝もまた、「わたしは何処にもゆけない!」とギャーギャー泣いている

ギャーギャー泣けたら、まだ良かったかな


許しても許しても際限ない

許される時は一瞬で、そしていとも容易く、また、忘れて、しまって


許しても許しても

許しても許しても、


許しても許しても、

許しても許しても、